"一度にすべてのことが同時に起こらないために、時間はただ存在する。"
_物理学者、アルベルト・アインシュタイン
1991年5月8日、とある病院の産婦人科で私は生を授かりました。
物心がある程度ついてきたのは恐らく3歳くらいの時です。
もう二十歳超えた私にとって当時の自分がどうだったのかは明確にはわかりません。
その頃好きだった遊びといえば二歳年下の弟と走り回ったり、近くの友達と遊んだり、
具体的に何をしていたのかははっきりと覚えていません。
この記事では私がポケモンに出会う前のゲーム、アニメにまつわる話をしていこうと思います。
私が最初に出会ったビデオゲーム(テレビゲーム)は父親がパチンコの景品か何かでもらった
「スーパーファミコン(通称スーファミ)」でした。
実はそれ以前に父親がスーファミの前のゲーム機である「ファミリーコンピューター」持っていたそうなんですが、私が物心ついたころには捨ててしまったようです。
色んなソフトを遊びましたが中でも一番記憶に残っているソフトを挙げると
「スーパーマリオコレクション」
「リーサルエンフォーサーズ」
「クレヨンしんちゃん・嵐を呼ぶ園児」
の三つのソフト。
まず「スーパーマリオコレクション」:これは説明不要ですね。スーファミの発売元である任天堂から発売された人気アクションゲーム。前代のファミコンで発売された4つのマリオシリーズ「スーパーマリオブラザーズ・2・USA・3」をスーファミ用にリメイクして一つのソフトにまとめた内容になっています。
そして:「リーサルエンフォーサーズ」:コナミから発売されたガンシューティングゲーム。アーケードゲームの移植版で、「ジャスティスファイア」という専用の銃型コントローラーを使えばアーケードのような本格的なガンシューティングが楽しめる。私もこのコントローラーで遊んでいました。
最後の「クレヨンしんちゃん・嵐を呼ぶ園児」:バンダイ(現バンダイナムコゲームズ)から発売された同名アニメをテーマにしたアクションゲーム。これに関しては後から話しましょう。
ゲームを遊ぶこと自体は楽しかったのですが、当時を振り返ってみるとまだ学習能力に乏しい年齢だったため、なかなかクリアにたどり着けなかったような気がします。
(初めの頃はゲームオーバーやミスの原因などゲームのシステム自体を理解していなかったような。)
ゲームの次はアニメに関する体験ですが、これに関してはハッキリとした思い出がありません。
「トムとジェリー」や「ポパイ」といった昔の海外アニメのVHS(ビデオテープ)を見ていたりしてたような気もしますが、当時私がリアルタイムで一番楽しみにしていたアニメがあります。
それが臼井儀人原作の「クレヨンしんちゃん」です。
恐らく当時の私は他の子どもたちよりも文章や言葉の物語を認識する能力や、アニメや特撮といったテレビ番組のシナリオの趣旨を理解する能力が劣っていたような気がします。
しかし「クレヨンしんちゃん」は物語の認識や理解する能力がなくとも面白かったのです。
なぜならば、このアニメには特に意味は無いけど単純に面白い言葉や動き、俗に言う「一発ギャグ」が多く出てくるからです。
例えば主人公のしんのすけが自分の股間にゾウを描いて「ぞ~さん、ぞ~さん」と腰を振ったり、おしりを出して「ケツだけ星人」と言ってちょこまか走り回るといった意味は無いけどお下劣で面白いシーンが沢山出てきます。私も毎週しんのすけの突拍子も無い一発ギャグやおバカな仕草を見ては爆笑していた記憶があります。今思うとメッチャ恥ずかしいですが、私もしんのすけのマネを家でしていました。
私にとって「クレヨンしんちゃん」もまた、特別な存在であり中学校の前半まで見てたような気がします。
実はもっとクレヨンしんちゃんについて語りたいのですが、いかんせんここは「ポケモンについて語る」ブログなので、これ以上語るのは止めておきましょう。
次からは私のポケモンとの出会いについて語ろうと思います。