2015年3月5日木曜日

【ポケモン経験談】ポケモンショック&映画との出会い


“歩き続けて どこまでゆくの?
風にたずねられて たちどまる”
_小林幸子『風といっしょに』の歌詞より抜粋

“ポケモン”は当時の(佳孟も含めた)子ども達にとっていわゆる「トレンド」となっていましたが、そんな時に“あの事故”は起きました。

当時アニメのポケモンを見ていた子供たちが次々と倒れ、病院に搬送されるという前代未聞の事故が発生しました。これは後に「ポケモンショック」と呼ばれるようになります。

幸い、佳孟の住んでいる山口県のポケモンは遅れて放送されていたのでその放送回は見ずに済みましたが。

この事故によってポケモンは放送中止を余儀なくされましたが、暫くして放送を再開しました。

当時の佳孟はこんな事件があったなんて全く知らなかったし、ポケモンが一時期放送中止になっていたことすら気づきませんでした。


話は変わって、当時の佳孟にとって始めての映画は確か「モスラ」でした。

ポケモンの映画で初めて見たのは「ミュウツーの逆襲」でしたが、
これが映画館で見たのかそれともTVの地上波で放送されていたものを見たのかはっきりと覚えていません。2作目の「幻のポケモン・ルギア爆誕」は確実に映画館で見ました。

ポケモン映画を当時の佳孟の感覚で言うと、何だか「異質」なものでした。
登場するポケモンの存在がまず異質であり、映画のシリアスなテーマとアニメのギャップもまた異質なものでした。その異質さに、佳孟はただ呆然としていました。

ポケモン映画を始めて見た、佳孟にとって思い出深い映画館「岩国ニューセントラル」は今はもう無くなっているのが残念です。

2014年4月27日日曜日

【ポケモン経験談】ゲームとの出会い

“全て 白い キャンパスの中で
日々を送ることがゆるされていた”
_米米CLUB『Child's days memory』の歌詞より抜粋

 アニメの「ポケモン」を見始めてからしばらく経ったある日、どういった経緯があったのかもう既に忘れてしまいましたが、携帯ゲーム機「ゲームボーイカラー(以下GBC)」を買ってもらいました。
それまで、佳孟が遊んだゲームというと、スーパーファミコンやプレイステーションといったテレビにつなげて遊ぶ言わば「据置型ゲーム機」だった為、ゲームは家で遊ぶものと言う印象が強かったような気がします。
もちろん、このGBCを買ってもらったのは、ゲームの「ポケモン」を遊びたいからでした。

 私にとって最初のポケモンゲームは初代「ポケットモンスター赤・緑(その後に発売された青)」のマイナーチェンジ版である「ポケットモンスター・ピカチュウ」でした。
「赤・緑・青」と「ピカチュウ」版の大きな違いは、「赤・緑・青」は最初に三匹のポケモン「フシギダネ・ヒトカゲ・ゼニガメ」から一匹を選ぶのに対して、この「ピカチュウ」版は最初のポケモンがピカチュウ一択である他、フィールド上にピカチュウを連れて歩けるというアニメ版「ポケモン」に倣ったゲームになっていることです。

 しかし、これを買った当時は小学校低学年だったのと、私が他の人よりゲームの内容を理解する能力に乏しかった為、なかなかうまく進めることができませんでした。ポケモンのタイプの相性どころか最初のうちはゲームをセーブする事自体を理解していませんでした。自分なりにゲームを進めることが出来たのはまたちょっと先の話になります。

 うちの親も私自身も「ポケモン」の存在を知ったのはアニメからなので、アニメのほうの印象がとても強かったりします。偶然にも初めて買ったゲームがアニメにそった内容のピカチュウ版だったために、元々ポケモンがゲームから始まったものだとはまだ、この時点で理解していませんでした。

 アニメ鑑賞と平行してゲームも遊ぶようになった頃、ポケモンはすでに一成を風靡したものとなっていました。私も私の周りの友達の中でもポケモンは俗に言う「トレンド」となっており、誰もが熱中していました。


 しかし皮肉なことに、ポケモンはまた“別の意味で”日本中の話題となってしまった事に
当時子どもであった私は全く気付いていませんでした。

2014年3月12日水曜日

【ポケモン経験談】最初の出会いはアニメだった


“不思議な不思議な生き物、動物図鑑には載っていない
『ポケットモンスター』 縮めて、『ポケモン』…”
_「ポケモンいえるかな?」間奏のナレーションより抜粋

私が5歳になった年の夏頃、
それまで広島県の借家に住んでいましたが、両親がローンを組んでマイホームを買ったので、お隣の山口県に引っ越すことに。
保育園で出会った友達との別れをおしんだかというとそういうわけでもありませんでした。(これといった友達がおらず、引っ越すという感覚がよくわからなかったからだろうか。)
新しい家に引っ越した私はとにかく全てが新しいその世界に心を弾ませました。
新築には憧れの二階。新しい人たちとの出会い…

そして6歳になり近くの小学校に入学し、楽しい学校生活を送っていました。
その当時見ていたアニメといえば専ら、プロローグでも紹介した「クレヨンしんちゃん」でした。
当時の私にとってそれを超えるアニメは存在しませんでした。

そして小学校低学年くらいのある日、母か父かわかりませんが親が「面白そうなアニメやってるから取っておいてあげよう」と、たまたまVHSに録画してくれたアニメ番組を見ました。

VHSの後ろ側にはラベルプリンターが貼られており、そこには大きな文字でこう書かれてました。

『ポケットモンスター』

…後に世界中で愛されるゲームシリーズになることを、この時は誰も予想しなかったでしょう。

正確な数は覚えていませんが何話か複数録画されており、何度か繰り返し鑑賞した記憶があります。

その中でもアニメ第一話「ポケモン!きみにきめた!」は今思えば印象的な話です。主人公サトシとピカチュウの出会いを描いたこの一話から、現在に至る活躍を考えると「全ては、ここから始まったんだ」という感動すら覚えてしまいます。

しかし、プロローグにも示したように私はアニメのシナリオやキャラクターの会話の内容を理解する能力に乏しく、このポケモンを見た頃もある程度理解はできたものの、やっぱりキャラクターの動きや雰囲気だけを感じ取っていたような気がします。

シナリオを十分に理解できるようになった今、このアニメ第一話を振り返って考察してみようと思いますがそれはまた別の機会に掲載することにしましょう。

次の経験談では初めてポケモンのゲームを遊んだときの話をしようと思います。

【ポケモン経験談】プロローグ「ポケモンに出会う前の話」


"一度にすべてのことが同時に起こらないために、時間はただ存在する。"
_物理学者、アルベルト・アインシュタイン

1991年5月8日、とある病院の産婦人科で私は生を授かりました。
物心がある程度ついてきたのは恐らく3歳くらいの時です。

もう二十歳超えた私にとって当時の自分がどうだったのかは明確にはわかりません。
その頃好きだった遊びといえば二歳年下の弟と走り回ったり、近くの友達と遊んだり、
具体的に何をしていたのかははっきりと覚えていません。





この記事では私がポケモンに出会う前のゲーム、アニメにまつわる話をしていこうと思います。

私が最初に出会ったビデオゲーム(テレビゲーム)は父親がパチンコの景品か何かでもらった
「スーパーファミコン(通称スーファミ)」でした。

実はそれ以前に父親がスーファミの前のゲーム機である「ファミリーコンピューター」持っていたそうなんですが、私が物心ついたころには捨ててしまったようです。

色んなソフトを遊びましたが中でも一番記憶に残っているソフトを挙げると
「スーパーマリオコレクション」
「リーサルエンフォーサーズ」
「クレヨンしんちゃん・嵐を呼ぶ園児」
の三つのソフト。

まず「スーパーマリオコレクション」:これは説明不要ですね。スーファミの発売元である任天堂から発売された人気アクションゲーム。前代のファミコンで発売された4つのマリオシリーズ「スーパーマリオブラザーズ・2・USA・3」をスーファミ用にリメイクして一つのソフトにまとめた内容になっています。

そして:「リーサルエンフォーサーズ」:コナミから発売されたガンシューティングゲーム。アーケードゲームの移植版で、「ジャスティスファイア」という専用の銃型コントローラーを使えばアーケードのような本格的なガンシューティングが楽しめる。私もこのコントローラーで遊んでいました。

最後の「クレヨンしんちゃん・嵐を呼ぶ園児」:バンダイ(現バンダイナムコゲームズ)から発売された同名アニメをテーマにしたアクションゲーム。これに関しては後から話しましょう。

ゲームを遊ぶこと自体は楽しかったのですが、当時を振り返ってみるとまだ学習能力に乏しい年齢だったため、なかなかクリアにたどり着けなかったような気がします。
(初めの頃はゲームオーバーやミスの原因などゲームのシステム自体を理解していなかったような。)

ゲームの次はアニメに関する体験ですが、これに関してはハッキリとした思い出がありません。
「トムとジェリー」や「ポパイ」といった昔の海外アニメのVHS(ビデオテープ)を見ていたりしてたような気もしますが、当時私がリアルタイムで一番楽しみにしていたアニメがあります。

それが臼井儀人原作の「クレヨンしんちゃん」です。

恐らく当時の私は他の子どもたちよりも文章や言葉の物語を認識する能力や、アニメや特撮といったテレビ番組のシナリオの趣旨を理解する能力が劣っていたような気がします。

しかし「クレヨンしんちゃん」は物語の認識や理解する能力がなくとも面白かったのです。

なぜならば、このアニメには特に意味は無いけど単純に面白い言葉や動き、俗に言う「一発ギャグ」が多く出てくるからです。
例えば主人公のしんのすけが自分の股間にゾウを描いて「ぞ~さん、ぞ~さん」と腰を振ったり、おしりを出して「ケツだけ星人」と言ってちょこまか走り回るといった意味は無いけどお下劣で面白いシーンが沢山出てきます。私も毎週しんのすけの突拍子も無い一発ギャグやおバカな仕草を見ては爆笑していた記憶があります。今思うとメッチャ恥ずかしいですが、私もしんのすけのマネを家でしていました。
私にとって「クレヨンしんちゃん」もまた、特別な存在であり中学校の前半まで見てたような気がします。
実はもっとクレヨンしんちゃんについて語りたいのですが、いかんせんここは「ポケモンについて語る」ブログなので、これ以上語るのは止めておきましょう。

次からは私のポケモンとの出会いについて語ろうと思います。

2014年3月11日火曜日

ごあいさつ

皆さんこんにちは、当ブログ管理人の佳孟(よし・はじめ)です

この「ポケットに入ったもう一つの世界」は株式会社ポケモン・任天堂およびゲームフリークから発売されているゲームソフト
「ポケットモンスター(海外名:Pokemon)」やそれに関連したアニメ、書籍などのメディア・フランチャイズ、佳孟のそれらにまつわる体験から様々な考察を掲載していく非公式ブログです。